- 岡山県立落合高等学校は平成25年3月2日最後の卒業式後、閉校記念式典を挙行し、3月31日をもちまして閉校となりました。
- 卒業証明書の発行事務は、岡山県立真庭高等学校が引き継いでいます。
教育目標
- 個性を尊重し、基本的な知識と技能を身につけ、生涯にわたり成長する人間を育成する。
- 自主自立の精神を養い、創造力を伸ばし、探求心を深め、たくましく生きる人間を育成する。
- 自由と責任の自覚のもと、公共の精神や社会規範を尊重する心を育て、郷土を愛する心を持った人間を育成する。
- 心身を鍛え、健康と安全の意識を高め、心豊かな人間を育成する。
使命
- 普通科では単位制のもとで、生徒の多様な進路に対するニーズに応え、大学進学はもとより各種専門学校、就職、公務員などの進路実現を図ることが使命である。
- 看護科は多くの人材を地域医療発展のために輩出してきた伝統を生かし、5年一貫教育の充実を図り、高度な知識と技能を持ち、使命感や倫理感あふれる看護師を育成することが使命である。
沿革
大正13年3月31日 | 落合町他4ヶ村組合立落合実科高等女学校として設立認可、修業年限3ヵ年、定員150名 |
大正13年12月 | 落合町垂水大倉に校舎落成 |
大正15年3月31日 | 岡山県立落合高等女学校と改称、修業年限4ヵ年、定員200名 |
昭和3年4月1日 | 県営移管、補習科併置旧久世高等女学校に分校設置、定員450名 |
昭和4年12月12日 | 現位置に移転 |
昭和5年3月31日 | 久世分校廃止 |
昭和20年4月5日 | 定員600名 |
昭和21年4月1日 | 修業年限を5ヵ年に延長、定員750名 |
昭和21年4月10日 | 校友会の経営で研究科(1ヵ年)を設置 |
昭和23年3月31日 | 研究科を廃止 |
昭和23年4月1日 | 学制改革により岡山県立落合高等学校と改称、併設中学校を設置 |
昭和23年6月1日 | 落合町外5ヵ村学校組合立定時制課程を併置 |
昭和24年4月1日 | 併設中学校を廃止 |
昭和24年8月31日 | 高等学校再編成により男女共学、学区制となり、定員450名 |
昭和25年4月1日 | 普通科第1学年定員150名、家庭科第1学年定員50名、計200名 |
昭和26年4月1日 | 普通科第1学年定員160名、家庭科第1学年定員50名、計210名 |
昭和28年2月8日 | 校歌制定発表会を挙行 |
昭和28年4月1日 | 併設定時制を落合町外5ヵ村組合立落合高等学校と改称 |
昭和28年10月1日 | 創立30周年記念式を挙行 |
昭和29年4月1日 | 家庭科生徒募集を停止、普通科第1学年定員200名 |
昭和30年1月1日 | 併設定時制を町村合併により落合町立岡山県落合高等学校と改称 |
昭和31年4月1日 | 普通科第1学年定員210名 |
昭和38年3月31日 | 併設定時制課程を廃止 |
昭和38年4月1日 | 普通科第1学年定員275名 |
昭和41年4月1日 | 普通科第1学年定員250名 |
昭和42年4月1日 | 普通科第1学年定員240名 |
昭和43年4月1日 | 普通科第1学年定員190名 |
昭和44年4月1日 | 普通科第1学年定員150名、衛生看護科第1学年定員40名設置 |
昭和47年4月1日 | 専攻科第1学年定員40名設置 |
昭和49年11月27日 | 創立50周年記念式挙行 |
昭和52年4月1日 | 普通科第1学年定員140名 |
昭和53年4月1日 | 普通科第1学年定員135名 |
昭和54年4月1日 | 普通科第1学年定員125名 |
昭和56年4月1日 | 普通科第1学年定員115名 |
昭和57年4月1日 | 普通科第1学年定員110名 |
昭和58年4月1日 | 普通科第1学年定員120名 |
昭和59年4月1日 | 普通科第1学年定員115名 |
昭和60年4月1日 | 普通科第1学年定員120名 |
昭和61年4月1日 | 普通科第1学年定員130名 |
平成元年4月1日 | 普通科第1学年定員140名 |
平成3年4月1日 | 普通科第1学年定員135名 |
平成4年4月1日 | 普通科第1学年定員140名 |
平成5年10月28日 | 創立70周年記念式挙行 |
平成6年4月1日 | 普通科第1学年定員125名 |
平成7年4月1日 | 普通科第1学年定員120名 |
平成14年4月1日 | 衛生看護科生徒募集停止、看護科第1学年定員40名設置、看護科5年一貫教育となる |
平成14年4月26日 | 県立高校再編整備検討対象校指定 |
平成15年4月11日 | 北房・落合地域新高等学校開校準備委員会事務局開所 |
平成15年11月4日 | 創立80周年記念式挙行 |
平成16年1月1日 | 至道高校・落合高校再編整備に伴う新岡山県立落合高等学校設置 |
平成16年4月9日 | 新岡山県立落合高等学校開校記念式挙行 |
平成22年4月12日 | 岡山県立真庭南地域新高等学校開校準備委員会事務局開所 |
平成23年4月1日 | 県立学校の再編整備により、普通科・看護科の募集を停止 |
平成25年3月2日 | 閉校記念式典を挙行 |
平成25年3月31日 | 閉校 |
校歌
【 校歌の制定について 】
昭和11年制定の落合高等女学校校歌は男子にはぴったりしない点があった。昭和26年当時、1・2年生で知っている者はほとんどいなかった。また、男子には歌いにくいものであった。もっと親しみやすく、新制高校にふさわしい新しい気分を盛った新校歌がほしいという要望が生徒間に起こってきた。昭和26年12月発行の白梅新聞によると、新聞部主催の「新役員に何を望むか」という座談会において、学校側と協力して新校歌を制定してほしいという要望が出されている。これに応えて、生徒会は校歌の募集を行ったが、わずか2篇の応募があったが採用するに至らなかった。
学校側も専門家への依頼を考えたようであるが、校歌は学校の雰囲気の中から生まれるべきものとの考え方から、最終的には当時の藤本校長が校歌の作詞を引き受けることとなった。藤本校長は、学者、書家、そして歌人として知られ、平賀元義の研究では第一人者といわれた人である。藤本校長が引き受けられたのが昭和27年の6月頃であったようで、それから半年間落合高校の環境の中にひたっておのずから歌心がわき上がってくるのを待たれたようだ。27年度卒業生が新校歌を歌えるようにするために、12月29日から28年1月7日まで家に籠って、作詞に没頭され、1月8日夜脱稿された。その後1週間ばかり推敲され、1・2箇所訂正されたという(生徒会出版部発行「白梅」第15号より)。
作曲は斯界の第一人者、芸術院会員信時潔氏に依頼し、同時に新校歌のレコードも作成され昭和28年2月8日、講堂で校歌制定発表会が行われた。ここに落合高等学校校歌が誕生したのであった。
(創立70周年記念誌「白梅」から)
配置図
位置
同窓会
問合せ先 | 岡山県立落合高等学校同窓会事務局(岡山県立真庭高等学校内) |
電話 | (0867)52-0056 |
FAX | (0867)52-0936 |